ソリストライフ~すてきな50代を迎えるために

日々断捨離と○活に励んでいます

思い出の品を断捨離

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この腕時計はウン十年前に

兄がK大附属に合格した時

買ってもらったものです。

大学生になり別の時計を買ったので

いらない、というので私が引き継ぎました。

当時は女性用腕時計は

文字盤が小さいものしかなく

使いにくかった。

初めてメンズの時計をして

見やすさに感動したのを覚えています。

兄に憧れていた面もあり、

同じものを使えるのが嬉しかったような・・・

 

時を経て、息子が中学生になった時

バンドを新調して渡しました。

記念の品を親から子へ、子から孫へと

受け継いでいく。

こういうことに憧れを持っていたのです。

 

母方の家は地元(某街道の大きな宿場町)で

それなりの家柄でしたが、

戦争でいろいろなモノを失ったそうです。

プライドが自分たちを支えていたのに

戦後は鉄道が中心となり、

街道沿いが廃れていく。

家も町も落ちぶれていく無念さを、

私は子供心に親の言動から感じていました。

戦争がなければ

代々受け継ぐものがあったのに、

という親の悔しさが、

憧れに転化したのかもしれません。

 

そして肝心の息子は。

発達障害ゆえの物の扱いの雑さ。

時計をダメにするのはこれで何度目よ。

しかも、そのことを隠すし。

 

本人曰く、時計は使わないそうで。

発達障害だから、遅刻するかな?とか

気にしないんですね。

不要なものだから、大事にしない。

壊れても気にしない。

多分、そういう思考回路。

 

この時計は、断捨離します。

私自身、腕時計はほぼ使ってません。

それでも子供に託したのは、例えば

「おじさんと同じK大附属に行きたい」

と言って勉強を頑張るとか、

そんな風に育ってほしかったから。

同じ附属に入り、つながりの証拠品として

友達に披露する。

そんな、私の夢が込められていたのです。

 

でも、こうして冷静に見てみると、

これまた「他人目線」の夢ですね。

やました先生なら「その思考を断捨離!」と

一刀両断しそう。

今まで残していたのは、モノの価値より

「K大附属」の価値があったからです。

もし兄がしょーもない高校(笑)に

入学していたら

買い替え時に即処分していたでしょう。

 

娘も、どうやってもK大附属に受かる

タイプではありません。

誰でも入れる近所の公立高校に、

自転車通学するのがよく似合う子です。

ましてや、母校を含め国立大学に通う姿は

想像できない。

親と同じ世界で生きていくことは

ないのだなあと年々強く感じています。

 

タイトル通り、すてきな50代を過ごすには

執着を捨てる必要がある。

私の描いていた夢は絶対不可能なので、

持ち続ければそれが「執着」になる。

(おお、「仕事は楽しいかね?」の話に

つながった!)

変わり続けるためにも、

執着は手放していかないと。

 

夢の実現性が皆無の今、

これがなくても大丈夫。

今の私の夢は「手ぶらで旅立つ」こと。

目標は「カバン一つで老人ホーム」。

(決して後ろ向きではありません。

むしろかっこいい生き方だと思っています)

そのための断捨離ですから。

でも、この時計は今までひっそりと

私を支えてくれていました。

感謝の気持ちを込めて、

この時計とさよならします。