ソリストライフ~すてきな50代を迎えるために

日々断捨離と○活に励んでいます

国立(くにたち)に行って思うこと

私の友人の子供たちは

大きい子は大学生、下は小学生です。

人それぞれですが、たいてい親と同じ道を歩んでいます。

中学受験で名の通った学校に行き

「親と同じ大学に行きたい」と

本人自ら勉強に励むそうです。

もし私が子供の立場なら、間違いなくそうなります。

 

が、幸か不幸か子供たち二人とも

私の家系の血は全く引いておりません。

外見も中身も、連れ子レベルで似ていない(笑)。

加えて発達障害というバイアスもあり。

上を見て前を見て死ぬほど努力する、

という才能がありません。

 

私は子供に学校の序列を覚えさせないよう

気を遣ってきました。

それでも家の気配から親の出身校を知り

なんとなく憧れを持ち続ける・・・・

というのが、あたり前だと思っていたのです。

 

が、子供たちには「察する」力がありません。

客観視する力もありません。

ですので、自分と他人の違いに気づかず

優越感も劣等感も持ちません。

ある意味とても幸せな種族なのです。

 

春の国立は、入学・進級モードで

活気に満ちています。

大学通りを歩いていると、かつての気持ちがよみがえり

うきうきしてきます。

 

この気持ちを共有、

せめて邪魔しないでほしいのです。

が、毎回子供たちは

「お腹すいた、どこで食べるの」

と言い続け、食べ終わったら

「いつ帰るの」

相手の気持ちに寄り添うことができません。

 

いつか目覚めてくれるのではないか、と

期待して連れて行くのですが、

もう諦めました。

これからは一人で花見に行ってきます(涙)。

 

ソリストとして生きていくには

「あきらめ」が大事だと思います。

言い方は後ろ向きなんだけど、

次のステージに行くための大事な要素。

「現状を変える」ことを諦めて

現状を肯定して、ではどうするかを考える。

 

障害や認知症などは、自然災害と同じ。

人間の努力で克服するものではない。

相手に合わせて、付き合っていく。

できるだけ被害が少なくて済むように・・・

あきらめる=受け入れる

なのだと思います。

 

ただ、若いと出来ないんですよね~

50近くになって、自分の身体の変化もあり

やっと「自分でできない」ことを受け入れられるようになりました。

来年はどんな気持ちで国立の桜を見ているのかな。

楽しみです。