「寂しい生活」を読んで
稲垣えみ子さんの著書です。
この方の本を読めば読むほど発見があり、
今夢中です。
タイトルとは裏腹に、とてもポジティブになれる本です。
感動した個所を備忘録としてまとめておきます。
節電生活を続ける中で、ついに冷蔵庫を断捨離した著者。
ブッダの「今、ここを生きよ」という考えに行き当たる。
世の中は自分の思うようには進まない。
頑張っても物事がうまく運ぶとは限らないし、たとえうまく運んだところで自分が望むような評価が得られるとは限らない。中略。いったいいつになれば幸せやら満足やらが得られるのか・・・
ところが、冷蔵庫をなくし、買い物の楽しみを奪われ、ふと気づいたのだ。
もしや、これが「今を生きる」ということではないか。
中略。あれこれと夢を描き、夢に心奪われ、一方でそれがうまくいかないのではと思い悩む暇があったら、今その人参と厚揚げを味わい尽くせ。そういうことではないか?
これまであれやこれやの夢を冷蔵庫の奥にため込んで、どれほど腐らせてきたことか。私の人生も同じだったんじゃないだろうか。あれこれの夢をため込んではほったらかしにして、次々と腐らせてきたんじゃなかろうか。そんな暇があったら、今できることをシンプルに、とことんやり尽くせばよかったのではないだろうか。
ああ、私の人生そのままです。
いつも不安で、先の先の先の・・・・先まで考えて生きてきました。
今楽しむためでなく、未来のために生きてきた。
子供の時は、まだいいのです。
来るべき未来があるから。
でも、二十歳過ぎたら一寸先は闇でした。
とくにバブルがはじけた世代ですので、
十代で思い描いていた未来と全く違うものがやってきた。
それはまさに想定外で、臨機応変の苦手な私は
対応できず傷だらけで生きてきました。
冷蔵庫をなくしたことで、すっかり欲がなくなってしまった。
こんな程度のちょっとのモノで生きていけるのだと思ったら、不安がなくなった。不安がなくなったらストレスもなくなった。ストレスがなくなったら、欲もなくなったのである。
私は食べ物だけでなく、それまで必要だと思ってきたあらゆるものを疑い始めた。ありとあらゆる「いつか使う」ものたちが、我が家にあふれかえっている。中略。私は人生の「いつか」、つまり人生の可能性を捨てているのだ。・・・しかし可能性を広げると言いながら、実際には欲を暴走させて不満を背負い込んできただけではなかったのだろうか。可能性を閉じて生きる。私はその可能性にかけてみようと思っている。
ちょっとだけ共感できるのです。
食事を減らし(ちゃんと食べるのは朝だけ)、
体の声をよく聞いて、基本同じものを毎日食べる。
これが実に心地いい。
そうしているうちにお菓子やパンを買わなくなり、
外食もしたくなくなりました。
我慢じゃなくて、「これがいい」のです。
同じものだけ買えばいいので、買い物もストック管理も楽です。
お腹の調子は自分史上最高にいい。
さすがに冷蔵庫の断捨離はできませんが、
買い替えのたびにダウンサイジングするつもり。
夫は買いたい派なので渋っていますが、
老後の生活じまいを考えると、やっていかねば。
ただ、小さいサイズは選択肢が少ない。
高齢化・生涯独身時代に対応した社会に
変わってほしいと切に願います・・・