ソリストライフ~すてきな50代を迎えるために

日々断捨離と○活に励んでいます

50才の誕生日①

これを書いたのは、だいぶ前になります。

誕生日前、当日、その後と思いを書いて

少し寝かせてから振り返ろうと思います。

 

誕生日まであと4日です。

特別、何の思いもありません。

毎日淡々とこなしていくだけ。

障害児を育てるのはストレスフルですから。

子供からプレゼントをもらうとか、

ねぎらわれるとか、

一切そういうのはありません。

発達障害児は「先天性認知症」。

子供の誕生日も、自分の誕生日も、

祝うという気持ちはなくなりました。

 

もう幻想は抱きませんから、

何とも思いません。

イベントの断捨離ができて、ラッキーかも。

誕生日に対する期待がなくなると、

年を取るのも怖くなくなります。

50という、たまたまきりのいい数字なだけ。

今までと変わらない誕生日。

誕生日も特別な日ではなく、

365日ある中の1つに過ぎない。

そんな感じです。

 

なんか「方丈記」っぽい??

昔から古典好きで、

中でも「方丈記」は子供を産んでから

何百回も読んできました。

年を取るほど、負け組感が強くなればなるほど

方丈記がスッと心に入ってくる。

作者も名門の血でありながら、

負け感がすごいですからね。

 

残り少ない40代。

やり残したことはあるか?

体は健康、夫も大病後、今は健康。

趣味もできた。

よく眠れている。

衰えていく日々を快適に過ごすための

道筋はつけてある。

突発的なことさえなければ、

40代の時よりいい50代を過ごせる自信はある。

 

多分、つらかった30代40代は、

後半生を力強く生きていくための

準備期間だったのだと思います。

得られないものをあきらめ、

その人生を受け入れていくには

これだけの試練が必要だったんでしょうねえ。

私は努力で叶えられないものはない、という

信念の人でしたから。

20年かけて自分なりのパラダイムシフトが

できたと思っています。

 

まあ、若くていい時代の20年を

無駄にした、という思いはあります。

でも、いい思い出がないからこそ

断捨離が進む、というメリットもあります。

私の今の夢は「手ぶらで死ぬこと」。

現実には死ぬ直前まで生活があるので

手ぶらというわけにはいきませんが、

スーツケース1つ分くらいの荷物で旅立ちたい。

見事な死に際だった、と言われたい。

死後に写真もお墓も何も残さない。

仮に子孫がいたとしても

私の存在に気付けないほど

見事に消えたいのです。

そのためにも、モノと心の断捨離が不可欠。

進歩し続けます。